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熊本地方裁判所 昭和37年(行)9号 判決 1966年4月26日

原告 増永茂己 外九名

被告 熊本県熊飽事務所長

主文

被告が、原告増永茂己、同吉村常助、同金沢大四郎および訴外藤井利七に対し昭和三六年一〇月二八日付でなした金二四二万一、六二〇円の、原告会社に対し同日付でなした金一四五万六、一八〇円の、各不動産取得税課税処分はこれを取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は主文同旨の判決をもとめ、その請求原因として次のとおりのべた。

第一、原告増永茂己外八名の請求原因

一、被告は、原告増永茂己、同吉村常助、同金沢大四郎および亡藤井利七(以下単に四名という)が、訴外協同組合上通振興会から、昭和三四年一二月二一日、熊本市城東町のもと県立第一高等学校跡宅地一、一一九坪六合八勺、宅地一、五七一坪三合八勺および建物一棟(以下本件不動産と称し、建物を除く宅地のみを本件土地と称する)を買受けて所有権を取得したものとして、昭和三六年一〇月二八日、四名に対し別紙目録第一記載の不動産取得税課税処分をなした。

二、四名のうち亡藤井利七は、昭和三五年二月二四日死亡し、原告藤井年子、同藤井輝彰、同安達孝子、同藤井宏樹、同藤井邦宏、同藤井義子がこれを相続した。

三、原告増永茂己外八名は、昭和三六年一一月二七日、熊本県知事に対し右課税処分の取り消しをもとめて異議の申立をなしたが、知事は同年一二月二七日右異議申立を棄却する旨決定し、その決定書が翌二八日原告増永茂己に送達された。

四、しかし右課税処分は、四名が本件不動産を取得した事実がないのに課税した違法な処分である。すなわち、

(一)  本件不動産はもと県立第一高等学校の敷地、建物であつたが、昭和三三年三月協同組合上通振興会が熊本県から払下げを受けてこれを所有していた。ところで昭和三五年一〇月に熊本県で国民体育大会が開催されることになつていたが、その前年の昭和三四年一一月ごろ、熊本市にも近代的なホテルを作るべきであるという世論が急速に高まり、四名が中心となつてその実現に努力することになつて、本件土地をその最適地と着目したのであるが、ホテルの経営を目的とする会社の設立を待つていては、国民体育大会に間に合わないので、早急に敷地を確保し、たゞちに工事に着手する必要があつた。一方前記上通振興会も、熊本県に支払うべき売買代金の最終支払分金五、四〇〇万円の支払期限が昭和三四年一二月二〇日と迫つていてその調達に苦慮し、本件土地を九州電力株式会社(以下九電と略称する)に売却する交渉をしていたのであるが、右支払期日までには到底妥結する状態になかつた。以上のような状況において四名と上通振興会の幹部との交渉の結果、両名の間に、代金支払時期を会社設立手続が完了するであろう昭和三五年六月三〇日とし、差当つて上通振興会が必要とする金五、四〇〇万円は、四名振出しの手形によつて銀行から融資を受けこれを上通振興会に交付し、銀行には後日設立された会社から支払う、ホテル建設には本件土地の約半分の敷地があれば足るのであるが、それでは上通振興会が必要とする五、四〇〇万円に足りないので、一応本件土地全部を契約の対象とし、必要でない部分は上通振興会の交渉を引き継いで後日九電に分譲し、その譲渡益をもつて会社の土地取得費を軽減する、という話合いができ、昭和三四年一二月二一日、四名は代金八、〇〇〇万円で本件不動産の売買契約を締結したのである。

(二)  右の契約は、四名が、将来設立される会社に本件土地を取得させるために、すなわち第三者のためにする契約としてなしたものであるか、あるいは四名が将来設立される会社の代理人としてなしたものに外ならないところ、会社(すなわち原告会社)は昭和三五年四月二〇日設立登記を経て成立したのであるが、その直前同月一五日に開催された創立総会において、創立事項報告書を全員一致で承認したことによつて、右受益の意思表示もしくは追認をなしたのである。したがつて本件土地の所有権は、売主上通振興会から直接原告会社に帰属したのであつて、四名がそれを取得した事実は存しないのである。

(三)  不動産取得税は、不動産所有権の帰属を把握して課税の客体とするものであるが、その所有権の帰属は形式的ではなく実質的に把握すべきものである。この点法人税が所得を実質的に把握する(実質課税主義)のと本質的に異るところはない。しかるに被告は、上通振興会と四名との売買契約書(甲第一号証)の形式と字句の末にとらわれ、四名が本件不動産所有権を取得したものと判断して本件不動産取得税を課したのは、違法な処分であつて取り消されるべきである。

五、仮りに、四名が本件不動産を取得したとしても、四名に対する本件課税処分は、その課税標準の認定が著しく過大であり、それにもとづく本件課税処分はやはり取り消さるべきである。すなわち、

(一)、被告は、四名に対する本件課税処分の課税標準を八、〇七二万〇、八〇〇円(その内訳は、土地二、七七二坪三合七勺につき坪当り二万七、八〇〇円で七、七二九万二、五〇〇円、建物三四二万八、三〇〇円)と認定したが、地方税法によれば不動産取得税の課税標準は、不動産取得時における不動産の価格であり(第七三条の一三、第一項)、固定資産課税台帳に固定資産の評価が登録されている不動産については、当該価格によつて課税標準となるべき不動産の価格を決定しなければならず、固定資産課税台帳に価格が登録されていない不動産については、知事が同法第三八八条第三項によつて示された評価の基準並びに評価の実施の方法および手続に準じて、課税標準となるべき不動産の価格を決定すべきもの(七三条の二一)とされている。すなわち不動産取得税における課税標準は、固定資産税におけるそれと同一の価格によるというのが、本件課税時における法の要求であつたのである。しかるに、

(イ) 本件不動産を四名が取得したといわれる昭和三四年一二月二一日当時、本件土地は未だ固定資産課税台帳に価格が登録されていなかつたのではあるが、翌昭和三五年度より登録されるようになり、その価格は三、四六八万四、一〇〇円(昭和三六年度は三、六七六万五、一〇〇円)となつた。しかもこの価格を熊本市が認定するについては、調査の概要調書を知事に送付し、その修正勧告の機会を与えているのに、知事は何らの修正勧告をせず、したがつて知事もこれを承認して確定したものである。また前記のように不動産取得時には登録価格がなかつたけれども、四名に対して本件課税処分をなした昭和三六年一一月二〇日当時には、右価格は固定資産課税台帳に登録されていたのである。しかるにその価格をまつたく無視し、登録価格の二倍以上の価格を課税標準となしたのは、恣意に過大評価したものというの外はない。

(ロ) 本件土地の評価は、熊本市においても、知事においても、自治庁の固定資産評価基準(乙第七、第八号証)の、いわゆる路線価式評価法によつて行つたものであるが、市の評価は自治庁長官の指示によつて知事が定めた坪当りの平均価額(当時熊本市の場合二、七一〇円)に、市の宅地の総坪数を乗じ、市の総評点で除して算出した一点当り六円の単価を、各筆の宅地の評点数に乗じて評価したもので、前記評価基準に完全に合致するものであるが、知事の評価は、本件土地についてのみなされたものであつて、評点の与え方も、一点当りの単価のもとめ方も、熊本市全域との関連性、統一性を欠くもので、ことに前記指示平均額をまつたく無視しているなど、致命的な欠陥を有するものである。

(ハ) 課税における公平と均衡は租税制度において本質的に要求される理念である。したがつて他のすべての土地が、一定の水準によつて課税されているとき、本件土地のみがその二倍または三倍に近い価格によつて課税されることは、憲法第一四条第一項の法の下における平等の趣旨からみても許されないものである。

第二、原告熊本振興株式会社の請求原因

一、被告は、原告熊本振興株式会社(単に原告会社という)が昭和三五年七月二三日、熊本市城東町二一番地宅地一、三三四坪二合四勺(以下会社分土地と称する)を取得したことによつて、昭和三六年一〇月二八日、原告会社に対し別紙目録第二記載の不動産取得税課税処分をなした。

二、原告会社は、昭和三六年一一月二七日、熊本県知事に対し右課税処分の取り消しをもとめて異議の申立をなしたが、知事は同年一二月二七日右異議申立を棄却する旨決定し、その決定書が翌二八日原告会社に送達された。

三、しかし右不動産取得税課税処分は、課税標準の認定が著しく過大であつて、それにもとづく本件課税処分は取り消さるべきである。すなわち、

(一)、被告はその課税標準を四、八五三万九、四〇〇円と認定したが、固定資産課税台帳には会社分土地の昭和三五年度価格として一、六六六万七、三〇〇円の価格が登録されている(しかもこの価格は前記第一、五、(一)、(イ)記載のとおり知事の承認を得て決定されたものである)。したがつてこの価格をもつて課税標準とすべきである。仮りに右価格は、原告会社が会社分土地を取得した昭和三五年七月二三日以後に登録されたものであつても、被告が原告会社に対する本件課税処分をなした日である昭和三六年一一月二〇日には、右価格は固定資産課税台帳に登録されていたのであるから、このような場合には右登録価格によつて課税標準となる価格を決定すべきである。しかるにその約三倍に近い価格を認定したのは違法な過大評価である。

(二)、また前記第一、五、(一)、(ロ)記載と同一の理由によつて、被告の認定した会社分土地の課税標準は、その評価の基準、方法、手続において致命的欠陥を有するものである。

以上の理由によつて、被告が原告らに対してなした本件各不動産取得税課税処分の取り消しをもとめる。

被告訴訟代理人は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決をもとめ、答弁として、原告の請求原因の第一の一ないし三、第二の一、二の各事実はいずれも認める。その余の、四名が本件不動産を取得した事実がないとの点、および課税標準の認定が過大、違法であるとの点はいずれも争う、とのべ、次のように主張した。

一、四名が本件不動産を取得したことについて、

(一)、本件不動産は、協同組合上通振興会との売買契約によつて、昭和三四年一二月二一日四名にその所有権が移転したものである。この事実は売買契約書(甲第一号証)によつて明らかである。すなわち右契約書によると、契約の成立時期を昭和三四年一二月二一日とし、買主である四名は買受けと同時に右土地を占有し、かつたゞちに使用できることになつていて、所有権留保約款などは存在しないのである。仮りに四名の右不動産取得が、ホテルの敷地確保のためであつたとしてもそれは取得の動機に過ぎず、動機や目的、またはこれを一時的に所有するか否か、経済的利益の有無などは、不動産取得税の非課税理由にはならない。

(二)、原告らは本件不動産取得を、第三者のためにする契約ないしは代理行為と主張するが、上通振興会と四名との右契約には、代理人である旨の表顕はなく、第三者に直接権利を取得させる合意も存在しない。たゞ売主は四名の請求ある場合は、四名の指定する第三者に所有権移転登記の手続きをなす旨の条項があるが、これはまさに中間省略登記の合意であつて、契約上の権利を直接第三者に帰属させる意思表示ではない。また商法第一六八条第一項第六号によれば、発起人が会社の成立後に譲受けることを約した財産は、その価格と譲渡人の氏名を原始定款に記載しなければその効力を有しないとされているところ、本件の場合、原告会社の定款にその記載がないことは明らかであるのみならず、そもそも四名が本件不動産を取得した当時は、未だ発起人でさえなかつたのであるから、右規定の趣旨からして、四名の意思表示でもつて設立後の会社に本件土地を帰属させるということは容認され得ないことである。

(三)、仮りに原告ら主張のように、本件土地が上通振興会より直接原告会社に帰属したものとすれば、原告会社は、不動産取得税の申告において本件土地全部の申告をなしていなければならないのに、その一部である会社分土地のみの申告をなしているに過ぎないし、さらに本件土地の一部(九電分土地)がその後九電に売却されているが、原告会社は法人税の申告において、当初九電分土地の売却利益を法人所得として申告していなかつたのである。これらの事実は、四名が本件不動産を取得したことを如実に物語るものである。

(四)、実質課税の原則といつてもそれはすべての税種に妥当するものではなく、また一般的な解釈原理でもない。したがつてその税の本質、目的、課税客体等によつて適用を異にするものである。所得税、法人税、事業税など直接所得の実質を把握して課税するいわゆる実質税にあつては、その性質上実質課税は当然であるが、不動産取得税は、不動産の移転という現象自体を課税客体とする一種の名目税(形式税)である。したがつて不動産の取得という法律上の現象があれば当然に課税すべきものであるし、前記実質税に見られるような実質課税条項も存在しないのである。たゞ立法上の実質主義によつて例外的に若干の非課税条項(地方税法第七三条の七)を設けているに過ぎない。すなわち不動産取得税においては解釈上実質課税の原則を適用することは許されないのである。

二、課税標準の認定が適正であることについて

(一)、四名が本件不動産を取得した昭和三四年一二月二一日当時、および原告会社が会社分土地を取得した昭和三五年七月二三日当時は、いずれも各土地の価格が土地課税台帳および土地補充課税台帳に登録されていなかつたから(原告らは、本件土地は昭和三五年度から固定資産課税台帳にその価格が登録されたと主張するが、それは誤りで、昭和三六年度の価格を決定したのちその価格から六パーセントを減じて登録した価格である)、地方税法第七三条の二一、第二項の規定によつて熊本県知事が、固定資産評価基準に準じて適正にその課税標準となるべき価格を決定したものである(なお、評価時あるいは課税時には固定資産課税台帳に価格の登録があつても、不動産取得時に登録がなければそれによることができないことは当然である)。そして不動産取得税の課税標準たる価格は「適正な時価」とされているのであるから、右評価の際その土地に特別な事情があれば、すでに固定資産課税台帳に価格が登録されている近隣の土地があつても、その価格にとらわれないで独自に評価することができると解すべきところ、本件土地はもと学校の敷地であつたのが、一躍商業地区に転化し、周囲に近代的建築物が完成し、道路が拡巾、舗装されるなどまさに特別の事情が存したのである。そして知事のなした本件土地に対する評価は、四名に関する分が坪当り二万七、八〇〇円、原告会社に関する分が同三万六、八〇〇円であるが、近接土地の売買実例価格や登記価格はこれよりはるかに高額であるのみならず、原告会社が会社分土地を登記する際の登記価格がそもそも坪当り四万円であつた事実からしても、決して知事の評価が過大であるとはいえないのである。

(二)、固定資産評価と不動産取得税における評価とは必ずしも一致するものではないが、熊本市の固定資産評価は、評点の与え方が法令にもとづく評価基準に照らし粗略ずさんであり、近隣地の評価額との均衡を配慮したゝめ過少評価に陥つている。また評点一点当りの単価として知事は、熊本市で用いている「六円」を用いたのではあるが、たゞ無批判にこれを用いたのではなく、熊本県が昭和三二年に本件土地の隣接地を、熊本郵政局の敷地として国に売り渡した際、日本勧業銀行に依頼して得た評価類を、固定資産評価基準によつて算出したその土地の評点数で除したところ、一点当り五円三四銭の価格を得、さらにこれを、日本不動産研究所による地価上昇の推移指数によつて修正した結果、右六円に近似する価格となつたのでこれを採用したのである。

(三)、なお原告らは、本件土地の価格が固定資産課税台帳に登録されるに際し、熊本市がその調査の概要調書を知事に送付して承認を得ていると主張するが、右概要調書は総括的な報告に過ぎず、各筆の評価を報告するものではないから、知事が修正勧告をなさなかつたことをもつて個々の評価を承認したということにはならない。

(証拠省略)

理由

被告が、四名および原告会社に対し原告ら主張の各不動産取得税課税処分をなし、原告らがそれぞれ熊本県知事に対し異議の申立をなしたところ、知事は右申立をそれぞれ棄却したこと、および四名中の一人藤井利七が昭和三五年二月二四日死亡して原告藤井年子、同藤井輝彰、同安達孝子、同藤井宏樹、同藤井邦宏および同藤井義子がこれを相続したことは当事者間に争いない。よつて争点となる、四名が本件不動産を「取得」したか否かの点および本件土地の評価の点について順次判断を進めることとする。

第一、四名が本件不動産を取得したか否か。

一、成立に争いない甲第一号証および同第二四号証と、証人大橋康助、同岡田日出太郎の各証言、それに原告増永茂己、同吉村常助、同金沢大四郎各本人尋問の結果の一部によれば次のような事実を認めることができる。すなわち、

本件不動産はもと県立第一高等学校の敷地と講堂であつたが、そこが上通商店街の裏にあたるので、昭和三三年ごろ、その周囲の土地も含めて県が払下げをなした際、協同組合上通振興会が地域発展のためにこれを買い受け所有していた。そして上通商店街の発展に役立つような施設を作ることを条件に右土地を第三者に譲渡し、その代金をもつて県に対する未払代金の支払いに充てる予定でいたところ、県に対する最終支払分五、四〇〇万円の支払期限が到来しても適当な買主が見つからず、支払猶予期限の昭和三四年一二月二〇日が近づいても到底支払える状態になかつたので、県議会において政治問題にまで発展し、県は上通振興会に対し厳重な督促をなしていた。このような状況にあつて上通振興会は本件土地を九電に売却する交渉を進め、また肥後銀行に融資方も懇請していたが、九電は昭和三五年度予算でしか代金支払いはできないとのことで、昭和三四年中に売買契約が成立して代金の支払いを受けられる見込みが立たず、肥後銀行も、当時熊本市の財界に存した派閥関係より、直接上通振興会に融資することをためらつていた。一方、原告増永茂己、同吉村常助、それに亡藤井利七らは、かねてから熊本市にも立派なホテルが必要であると考え、ことに原告吉村常助は、本件土地が昭和三三年ごろに払下げられたその前後から、本件土地をホテルの最適地と考え、県当局や、払下げを受けた上通振興会、それに融資の関係で肥後銀行にもその旨を話していたのであつたが、いまだ具体的進展をみないでいたところ、前記のように上通振興会が肥後銀行に融資方を申入れた際、肥後銀行より、ホテルの建設を考えている原告増永らに本件土地を売却し、肥後銀行が同人らに融資して上通振興会に支払うという案が提出されるに至つて、本件土地にホテルを建築したいという原告増永らの数年来の考えが急速に実現可能性を帯びて来た。そこで原告増永らは肥後銀行より融資を受けられ、ホテルの最適地と考えていた本件土地も確保できる見通しがついたので、翌年一〇月に熊本市で開催される国民体育大会に間に合うようただちにホテル建設にとりかかることを決意し、ホテルの経営を目的とする会社の設立を待つていては到底右国民体育大会に間に合わないばかりか、万一上通振興会が本件土地を他に売却してしまうようなことがあれば、ホテルの建設という宿願が消え失せてしまうことになるので、取りあえず四名でホテルの敷地に必要な土地を確保しておくことにして、昭和三四年一二月一八日上通振興会の幹部と交渉した結果、四名としては本件土地の約半分もあればホテルの敷地として十分であつたが、それでは上通振興会が必要とする五、四〇〇万円に満たないので、九電に対する前記売却交渉を四名あるいは将来設立される会社が引き継ぎ、本件土地の一部を九電に売却し、その売却差益金を会社の土地取得費の一部に充てる見込みで、一応四名が本件土地全部を代金八、〇〇〇万円で買受けることにするが、代金の支払期日は、会社が設立し、また九電に対する一部売却の話も妥結するであろう六ケ月先の昭和三五年六月三〇日とする。ただ上通振興会が差当つて必要とする五、四〇〇万円は、契約成立の日に四名が同額の約束手形を振り出し、これを肥後銀行に差入れて融資を受け支払うが、前記支払期日までの銀行に対する利息は、これを売主である上通振興会が負担支払う。ホテルの建築はただちに着工する必要があるので、契約成立の日から本件土地は四名の占有に帰する、ただし所有権移転登記は代金完済と同時になす。以上の合意が成立して昭和三四年一二月二一日不動産売買契約書(甲第一号証)が作成された。そしてホテルの建築も、九電への一部売却の交渉も、以後順調に進行し、原告会社は昭和三五年四月二〇日成立し、間もなく会社分土地が会社財産として計上され、九電分土地もその後間もなく四名から九電に売却された。

以上の各事実を認めることができ、この認定に反する甲第二七号証は、証人大橋康助、同岡田日出太郎の各証言によつて認められるその成立のいきさつに照らして措信することができず、また原告ら各本人尋問の結果中にも一部右認定に反する部分があるが、この認定を覆えすには足りず、他にこの認定に反する証拠はない。

右認定事実によれば、その動機、目的において通常の売買と異るものがあることは十分認められるが、それにもかかわらず四名は、一旦本件不動産をみずから「取得」したものであると認めるのが相当である(したがつて原告ら主張のように、これを第三者のためにする契約、ないしは代理行為と認めることはできない)。

二、しかしながら、右認定事実によれば、四名としてはあえて前記売買契約の日に本件土地の所有権を取得する必要は必ずしもなかつたのであるが(ホテルの建設を急ぐだけのためなら他に方法もあつたはずだし、移転登記を代金完済と同時、すなわち六ケ月先としている点をみれば、土地所有権の確保が本契約の主たる目的とも思えない)、それにもかかわらず前認定のような契約を締結し、その一部の履行までなしたのは、ひとえに金員の必要に迫られていた上通振興会の立場を考え、あわせてホテルの敷地を必要とする未設立会社の利益のためになしたものであることは明らかである。これを観点を変えて法律的に評価すれば、本契約は上通振興会を委任者、四名を受託者、将来設立される会社(原告会社)を受益者とし、会社分土地については管理を、九電分土地については処分を、それぞれ目的とした信託契約、ないしはこれに類する信託的譲渡契約と認めることができるのである。

ところで地方税法第七三条の七は、不動産取得税の非課税事項を規定し、その第三号が「委託者から受託者に信託財産を移す場合における不動産の取得」を掲げているのであるから、四名の本件不動産取得は、右規定によつて不動産取得税を課することができない場合にあたるとするのが相当である。

結局四名が本件不動産を取得したとしてなした被告の四名に対する本件課税処分は、原告らが主張するその余の点について判断するまでもなく、違法であつて取り消しを免れない。

第二、会社分土地の評価(課税標準)について、

一、不動産取得税の課税標準は、地方税法第七三条の一三、第一項、第七三条第五号によれば、不動産を取得した時における不動産の適正な時価とされているが、他方同法第七三条の二一、第一項は、不動産取得税の課税標準となるべき価格を、固定資産課税台帳への登録価格により決定するものと定めている。結局地方税法は、固定資産課税台帳に価格が登録されている不動産については、原則としてその価格をもつて「適正な時価」とみなしているものといわなければならない。

ところで成立に争いない甲第二五号証の一と、証人近藤薫の証言によれば、会社分土地については、昭和三五年一二月一七日原告会社に所有権移転登記がなされた旨の通知が登記所から熊本市にあつたので、熊本市において、賦課期日である昭和三六年一月一日を基準にして、同年二月末日までの間に、昭和三六年度課税標準価格として一、七六六万七、三〇〇円を固定資産課税台帳に登録したことを認めることができるから、原告会社が会社分土地を取得した昭和三五年七月二三日当時には、会社分土地が固定資産課税台帳に登録されていなかつたことは明らかである。そして固定資産課税台帳に価格が登録されていない不動産の不動産取得税の課税標準は、地方税法(昭和三七年法律第五一号による改正前)第七三条の二一、第二項が「第三八八条第三項の規定によつて示された評価の基準並びに評価の実施の方法及び手続に準じて」決定するものと規定し、原則として固定資産評価と同一の基準、方法、手続によるものとしている。すなわちその不動産の価格が固定資産課税台帳に登録されるとすれば記載されるであろう価格と同一価格をもつて、不動産取得税の課税標準としているものと解される。

ところで、被告が原告会社に対し本件課税処分をなした昭和三六年一〇月二八日当時は、すでに会社分土地の価格が固定資産課税台帳に登録されていたことは前認定のとおりであり、また成立に争いない甲第二五号証の一によれば、右台帳には会社分土地の昭和三六年度価格のほか、昭和三五年度価格として一、六六六万七、三〇〇円が登録されていること、および同じく成立に争いない乙第六号証によれば、熊本市内の宅地の昭和三六年度固定資産価格は、昭和三五年度価格を一率に六パーセント引き上げた価額であることを認めることができ、会社分土地の前記昭和三六年度価格が、昭和三五年度価格の六パーセント増であることも計算上明らかである。

以上の各事実に徴するとき、原告会社が会社分土地を取得した当時に、固定資産課税台帳にその価格の登録がなかつたとの一事をもつて、その後に登録された固定資産価格(しかも右不動産取得時の固定資産価格)の三倍に近い四、八五三万九、四〇〇円を課税標準価格と認定し(この額は当事者間に争いない)それにもとづいてなした、原告会社に対する本件課税処分は、次に考察する特別の事情がない限り、県および市の評価の基準、方法および手続が適正であるか否かを判断するまでもなく、違法といわざるを得ない。

二、地方税法第七三条の二一、第一項は「道府県知事は、固定資産課税台帳に固定資産の価格が登録されている不動産については、当該価格により当該不動産に対する不動産取得税の課税標準となるべき価格を決定するものとする。但し当該不動産について増築、改築、損かい、地目の変換その他特別の事情がある場合において当該固定資産の価格により難いときは、この限りでない」と規定する。この規定の但し書の趣旨は、固定資産課税台帳に価格が登録されていないため、知事が評価する場合においても、隣接地の登録価格、あるいはその後に登録された価格に拘束されないという意味で推し及ぼすことができるであろうことは首肯し得る。しかし証人北川千之の第二回証言と、弁論の全趣旨によれば、本件土地を含めたその周辺は、昭和三四年四月に区画整理も完成して近時急速に都市的発展を遂げ、家具店、レストラン、パチンコ店、六階建の郵政会館等が次々に建築され、道路も拡巾、整備されたことを認めることができるのであるが、それらはいずれ、前記認定にかかる熊本市の固定資産評価以前に完成されていたものであることもまた同時に認めることができるのである。すなわち、熊本市の本件土地評価は以上のような状況を前提にしてなされたものとみなされなければならない。しからば被告がその直後に会社分土地の課税標準を決定する際、地方税法第七三条の二一、第一項にいわゆる特別事情があるとして、のちに登録された固定資産評価格とまつたくかけ離れた価格を決定することはできないというべきである。

三、なお被告は、近接地の売買実例価格ないしは登記価格に比して、被告の認定した課税標準価格は決して過大に失することはなく、違法とはいえないと主張するが、地方税法が不動産取得税の課税標準を「適正な時価」と規定している点よりみれば、まさに被告の主張のとおりであるけれども、同法は同時に、固定資産課税台帳の登録価格を、原則として適正な時価とみなしていることも前認定のとおりであつて、固定資産評価額と時価とがかけ離れている現状(このことは証人近藤薫の証言によつて認められる)にこそ問題が存するものといわざるを得ない(ちなみに地方税法は、固定資産税における課税標準も「適正な時価」としている)。

結局、被告の会社分土地に対する本件課税処分も違法であつて取り消しを免れない。

第三、以上認定の次第であつて、原告らの本訴請求はすべて正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 後藤寛治 石川哲男 高橋金次郎)

(別紙)

不動産取得税課税処分目録

第一、納人 増永茂己外三名

税額    二四二万一、六二〇円

課税標準  八、〇七二万〇、八〇〇円

納期限   昭和三六年一一月二〇日

日付    同年一〇月二八日

第二、納人 熊本振興株式会社

税額    一四五万六、一八〇円

課税標準  四、八五三万九、四〇〇円

納期限   昭和三六年一一月二〇日

日付    同年一〇月二八日

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